無から有をつくる新しい価値観の創造『山本 寛 講演会』

2011年7月18日(月)
無から有をつくる新しい価値観の創造『山本 寛 講演会』



青年会議所の講演だからかもしれないけどプログラムに国家斉唱があったり理事長さんの挨拶があったりすごく真面目な講演会でした。
ヤマカン:壇上に立って講演をする人は何かで成功した人間という認識を持っているかもしれないが自分は一度も成功していない。
何でこの場に呼ばれたかは分からないがそんな人間なりに話す事はあるだろうと思っている。
極端に言えば私の言う事の逆を突けば成功するんじゃないかと。
■Ordetについて
ヤマカン:名前の由来はカール・ドライヤー監督の「原題:Ordet(邦題:奇跡)」という映画のタイトルからつけている。映画「Ordet」には神学に没頭したあげくに正気を失った次男が登場し、この狂ったような事ばかり言ってる次男が文字通り「奇跡」を起こす。
今の自分の境遇と「Ordet」の狂った次男を重ね合わせている部分があって、たとえ身内から狂っていると言われようが自分はつぶやき続けなくてはいけないと思っている。
今のアニメやアニメ業界に対していい加減な事を言っていると受け取られてしまってもいつか「奇跡」を起こせると信じてつぶやいている。(Twitterで持論を展開していることについて)
■講演の副題
ヤマカン:「無から有をつくる 新たな価値観の創造」という副題は置いておくとして自分が提案したのは「時代にアニメが翻弄される前に」、今という時代にアニメがどう直面しているか、そして乗り越えていくべきかを語りたい
内容を「ネット社会とアニメ」、「大震災とアニメ」とに分けて語りたいと思っている
■「ネット社会とアニメ」
ヤマカン:10年前にIT革命が起き、IT革命前とIT革命後の作品作りの変化を業界で肌で感じる事が出来た。
一番最初に感じたのはセルアニメからデジタルになり今まで大きなダンボール箱に入っていたセルを全てデータでやり取りできるようになった事。パソコン一台あればアニメが作れる時代になっている(タブレットで描いているのは全体の2割程度、残り8割は紙に手描きで作画している。)
掲示板、ブログ、SNSという時代を経て誰でも簡単に自分の想いを世界中に語ることが可能になった。
いかに世界がネットワークで繋がっているかと言うとアニメが日本で放送されるとその翌日には海外で感想が書かれているくらい、海外では放送されていないはずなのに何らかの形で視聴し感想もアップできるという時代。
世界中の意見が氾濫するようになり、その代表的なものが「2ちゃんねる」、でも若い世代はニコニコ動画は見ても2chはあんまり見ないらしい。
昔は投書や電話という手段だったのに、テレビ局や出版社は番組をオンエア、出版物をリリースした瞬間に様々な人の意見を数多く受け取れるようになった。一夜にして2000~3000の意見が集まるという規模に業界の人間は戸惑ってしまった。
例えばネットに「あそこは変だよね」って書かれているとそれを見ているプロデューサーが「変だから直してくれ」と現場に伝える、2ちゃんねるというどこまで本気で書かれているか分からない匿名の意見に反応するようになった。この10年間は匿名というユーザーのニーズを鵜呑みにしすぎている。
オタク側もマイノリティ感、「知らない知識を持っている俺はスゴイ」という価値観ではなくネットを見て人の意見の顔色を伺うようになった。マイノリティという自尊心が無くなった。
作り手側もネットユーザーの意見ばかりを取り上げている事から視野が狭まっている、それに対して視聴者も人の意見に合わせる現象が世界レベルで起きている。袋小路に追い込まれているというのが自分の意見。
世界に誇るアニメの市場規模は2009年で2164億円、比較対象として邦画の2009年の市場規模は1173億円、売れないと言われている音楽市場ですら4074億(2009年)、「冬のソナタ」の経済効果は日韓あわせて2300億円、冬ソナ1本に負ける日本のアニメ市場はいかがなものかと。
個人的にはこの市場が広いとは思えない、野村総研のデータでオタク人口はたったの11万人(2004年)しかいない。
ネットに気を取られずもっと表に発信しマイノリティであるオタク文化を先鋭化していかないと作り手も消費者も頭打ちになる。
今のままではビジネスとしてもエンタメとしても文化としても閉塞感が漂い袋小路になる。
■「大震災とアニメ」
ヤマカン:アニメと現実の乖離という観点からメディアがこういった震災を今まで捉えてこなかった、アニメは現実逃避そのもの。現実逃避には悪という意味だけではなく一服の清涼剤としての意味もある、その一面を急進的にし続けてしまった。
震災によりどのくらい業界が動揺しているかというとスタッフレベルで「アニメなんて作っていいのだろうか」という空気が漂っている、モノが書けなくなったライターやクリエイターもいるくらい。
最近のアニメで主流になっている「日常系」というジャンルがある、今となっては崩れてしまった日常を描いていかなくてはいけないのかというジレンマ。
「かんなぎ」の舞台になった場所で炊き出しをしたときは被災地の状況を見て途方に暮れてしまった。ボランティアで訪れた岩手でも延々と同じ景色が続くので復興に何年かかるのか、今世紀一杯までかかるんじゃないかと弱音を吐きたくなった。
観光客も仕事も減った被災地で地元の人にアニメというコンテンツは一つ手段になるのではないかと言われ「なるほど」と思った、。「かんなぎ」だけでなく他の作品も色々招致する話も挙がっているらしい。
現実逃避してきたアニメが現実と直面して難局を乗り切る、協力できるのであれば出し惜しみせずにやるべきだと思っている。
誤解されるのを覚悟で言うと「東北に託けて」商売しようと考えている。東北に1円でもいいからお金を落とすという意味でビジネスを成立させなければと強く意識している。
大震災に直面して視野が狭くなった"アニメ"が目を覚ます機会が訪れたのではないかと、自分の中でチャンスだと感じた。
日本全体の色んな人々に向かってコンテンツを発信するという意識を作り手が持てばネットに翻弄される事も無くオタク文化と言われるだけでなく、「真のエンタメ業界、真のコンテンツ産業」に飛躍できるのではないと私は信じている。
そんな信仰を「Ordet」の頭のおかしい次男と自分とを重ね合わせている。
もしかしたら「奇跡」が起きるのではないかと信じて....
■質疑応答
◆「フラクタル」においてのスポンサーの価値観と作り手の価値観の違い、作っている上での苦労話などを教えてください
ヤマカン:「フラクタル」はアスミック・エースのプロデューサーに「ヤマカンがやるなら何でもいいよ」って飲みの席で言われたのが始まり。なので企画書とかは提出することなくスタートした。
作品はスポンサーから「こんなのを作って」と言われるケース(「かんなぎ」はこのケース)とスポンサーに企画書を出して「こんなのを作りたい」というケースがある。ただどんな場合でも面白い作品を作ろうとする姿勢は変わらない、これを見失ったらアニメは終わり。
◆大学生活でのサークル活動などでやりがいのあったものは?
ヤマカン:寝る以外だったら何をやっても勉強になる。失敗したり集団の中で孤立する事もあったが全部含めて勉強になったと思ってる。
大学ではアニメサークルだけでなく美術部や高校の吹奏楽部のOB活動、芝居もやった。数合わせだけど合コンにも参加。
何をやっても勉強になるので何でもやって欲しい。
◆大学3年生なので就職活動へのアドバイスをお願いします
ヤマカン:同じ演出家という夢を追いアニメ業界に入った友人が生活面の問題から方向転換してしまった。アニメ業界は年収100~200万が当たり前で監督業もそんなに変わらない。家族は養っているが自分の稼ぎでは車も買えない位。
だが業界を去ったその友人は自分の数倍も稼いでいる、爪に火を点しながら夢を追いかけるのか、勇気ある撤退で安定した生活を取るのか、どちらが正しいとも言えないしどちらを選ぶかは自分次第。そういう選択を迫られる日がくるかもしれない。

講演後はサイン会でした。
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おおおおおおおお。さすがここの管理人。フットワークが軽い。
山本さん、twitterではあれな発言が注目されるてますけど、あたりまえですが、ちゃんとした人なんですね。
しかし2000円でその顔文字ヽ(-_-)丿はあんまりな気も・・・それともこれはこれで価値ありなのかな。
| 名無しさん | 2011/07/19 15:57 | URL |