一橋大学KODAIRA祭 山本寛×山本貴光講演会「アニメコンテンツの過去・今・未来」
ヤマカン:新次元は「まどかマギカ」が開いた、今日の結論です、以上解散!
■山本寛さんの代表作について
・「らきすた」、「かんなぎ」は両方ともロゴが縦向き、通称"縦の時代"と呼ばれているとかいないとか
・「私の優しくない先輩」のロゴが変な所で改行されているのはヤマカンの演出ではなく、ワープロソフトの改行ミスでシナリオの段階でこうなっていた、ロゴからもやさしくない感じがにじみ出ている。
・「アインザッツ」の楽器描写は高校からやっていた吹奏楽がルーツ
・「フラクタル」がネガティブなイメージを持たれてしまいマンデルブロ先生には申し訳なく思っている、OPのフラクタル図形はフルCGで作っている。
山本貴光さん:「フラクタル」のクレインは決断しない主人公で最後まで考えて悩みに悩みぬく、最近のアニメのようにすぐどちらかに傾く事が無い、この点は狙ってやっているんですか?
ヤマカン:今必要なアニメを考えた中で自分に正直な表現を全部やりたかった、00年代を代表する宇野常寛さんの"決断主義"という考え方に同調できず限界を感じていた。
世界のごく一部しか切り取らない事に閉塞感を感じ、もっと見えない部分も捉えないとアニメという表現が廃れてしまうと思った。
「出来損ない、未完成」と言われてしまっても仕方ないが、そこを意図している事も理解して欲しい(意図しているから偉いとか、萌えアニメを否定しているつもりは決して無い、「かんなぎ」の2期もオファーがくればやるよ)
決断主義から抜け出るための冒険活劇「フラクタル」を作って本当にスッキリできた、フラクタル以上に本音を込めた作品はこの先作れないかもしれない。
■影響を受けている人は?
考えて最後に決断する主人公の心の動きは宮崎駿監督の影響を強く受けている、心の師匠とも呼べる宮崎監督がいなければアニメ業界にも入っていなかったと思う。
だから「ジブリっぽい」と言われるのはかまわないし、同じ事を新海誠にも言え、我々の世代は宮崎監督の影響を受けていて当たり前
宮崎さんも政岡憲三→森康二→宮崎駿というラインがあるので1点だけを見てパクリというのは浅はかな考え
■アニメ業界の単価が上がらないのは手塚さんのせい?
ヤマカン:杉井ギサブローさん曰く、単価が安いのは鉄腕アトムのせいじゃない、当時のアニメーターは一軒家に住めるくらいお金はあった。
むしろ一番の問題は週に30分番組を1本作らなければいけないというスケジュール、これは理論的に不可能
今はデジタル化も進んで作業効率も上がったが根本的なスケジュール感は変わっていない。
山本貴光さん:改善策は無いの?
ヤマカン:今のスケジュールに業界が慣れてしまっている、例えば余裕を持って3年間で作ろうとしても最初の2年は遊んでしまう。
その点でアメリカでは仕事のペース配分がよく出来ていて、ピクサーでは遊びと仕事の配分がしっかりしている。
徹夜して仕事をしても仕事をした気分になっているだけ、これが日本のお国柄なのかもしれないけど。
■アニメの歴史について
ヤマカン:2017年で日本のアニメ史は100年になる。スコセッシやゴダールが映画史を撮ったように日本でもアニメ100年史を作らなくてはいけない。たぶん自分が作ったら叩かれると思う。
こういった形で日本のアニメ史を学ぶ機会を得ないと刹那的に近いアニメばかりを見る風潮が出来てしまう。
大学のアニメサークルにいた時は岡田斗司夫が啓蒙していた"オタクはエリート"という考え方が蔓延していた時代だった。
自分たちは「何でも知ってるし何でも語れるサブカルのエリート」という感じ、知らない作品があったら先輩から無理やり観させられたりした。
自分の一つ下の世代からアニメは楽しければ良いじゃんという考え方に変わり、萌えという概念が生まれた(モダニズムに対するポストモダニズムのような感じ)
■ヤマカンがアニメの100年史を作るとしたら?
ヤマカン:教科書に載るようなアニメ史を作るつもりは無い、自分の中のアニメ史を綴るゴダール的なものになると思う。
一番最初はラピュタでそこから遡ったり戻ったりする構成にするかな。
でもそういうのは長井龍雪に任せればキレイにやってくれるよ、キレイが嫌なら新房昭之さんでもいいじゃん。
調べた限りでは日本最初のアニメーションである下川凹天の「芋川椋三玄関番之巻」は現存していない、ゆえに僕らはアニメの起源を知る事が出来ないという悲劇
最初のアニメを知る事が出来ない我々が2chやブログで知った口を叩くなと、だから個人的なアニメ史を語るしかないんだ。
YouTubeに世界のアニメ史をキレイにまとめた映像があるので探してみてください(BGMが何故か「愛・おぼえていますか」のヤツ)
「ほむほむ」とか「ハレ晴レユカイ」なんて誰でも出来るんだからもっと有効に使わないと、ハレ晴レユカイが流行っている時に「女子高生 GIRL'S-HIGH」を踊る人はスゴイ
■日本のアニメーションに対する危機感とは?
ヤマカン:ネット社会の登場でアニメの楽しみ方が変わり、誰でも自由にアニメを語れる時代が来た。
当時は素晴らしい時代が来たと思ったがその弊害として、2chのような匿名性のある視聴者の顔色を伺うようになってしまった。
昔は2chも多様な意見が飛び交っていたが、今はブヒブヒと意見に乗っかるかアンチで罵るの2択だけ
信者やアンチのようにポジショントークが確立され自分の意見ではなく、大きな言論の渦に身構えるようになってしまっている。
例えば「ヤマカン死ね」という言葉が自分の立ち位置を確認する定型文のようになっている、本当に死んで欲しいと思っているのかよ。
視聴者が本心で言っている事なのか、ポーズやファッションで言っているのかを作り手側が見極める必要がある。
最近はオタクの間で「布教」という言葉が廃れ、代わりに「爆死」、「大勝利」、「覇権」という言葉が生まれた。
アニメを「面白いorつまらない」ではなく「勝ちor負け」という価値観でしか捉えていない。
一昔前は「お前が知らないアニメを知っている」というアドバンテージがあり、「知らないお前は語る資格なし、啓蒙してやる」という文化だった。
しかし今は知らない作品は「爆死」であり価値の無いものという考え方
一方で「大勝利」の作品に大衆がドッと乗っかる、その群れる楽しさの発端となった作品が「涼宮ハルヒ」だったのかもしれない。
オタクとオタクが手をつなぎ盛り上がって欲しいと思ったがハルヒダンスにも功罪はあったのかなぁと感じている。
「群れる=周りと意見をあわせる、空気を読まなくてはいけない」という心理に傾く弊害があった。
負け惜しみと捉えていただいて構わないが1月の新作アニメ板のスレ数で「まどかマギカ」と「フラクタル」では20倍も差があった。
オンエア前に勝負は決まっており、オーラとか覇権とか競馬予想のようにただ勝ち馬に乗るゲームになっている。
観ている本人が楽しければそれでいいが、自分の世代としてのアニメの楽しみ方ではなくなってしまった。
「アニメはもうダメかもしれない」という文章に語弊があるとするならば「僕の思っているアニメはもうダメかもしれない」でも構わない、価値観が違いすぎる。
アニメ業界との溝が深まる一方なので「フラクタル」で自分の思いを直訴したかった(一、アニメ演出家、山本寛個人としての訴え)
小黒さん、氷川さん、藤津さんには申し訳ないがアニメに対する言説はまだまだ未熟な段階にあると思う
使いたくない表現だけど作り手側が受け手に的確な啓蒙が出来なくなっている
山本貴光さん:アニメの批評はどうしたら良くなるのでしょう?
ヤマカン:妄想ノオトはもう辞めようかと思っている、批評は外部からやる事に意味があると感じているが日々叩かれ言論の渦から逃れられなくなっている
何故かロッキング・オンが毎月「CUT」を送ってくれていたが、今月号のノイタミナ特集(フラクタルを除く)が載っているCUTを自分に送りつけてきた
今回の事でアニメにまつわる想像力というか言説が弱まっていると感じた、
アニメを縦軸で追いかけようとしている「月刊アニメスタイル」には成功して欲しい、小黒さんだけが頑張っている感じ
フラクタルのムックでお世話になった氷川さんにはもっと目立って欲しい、淀川長治さんのように「伝道師」として一般のお客さんに面白さを伝えられればいいのに、
これは岡田斗司夫さんがやろうとして諦めた、MAGネットに出ている東ナントカさんはアニメを知らないから到底無理だろうし
山本貴光さん:アニメの淀川長治さんに出てきてもらうためにもアニメの観方を教育として教える事が必要なのでは?
ヤマカン:映画学科があるわけだからアニメ学科もあってしかるべきだが、オタクカルチャーを教育するというのは僕らの世代としては違和感がある
例えるならロックを大学の授業で教えるかのような違和感、教育としてアニメを捉える前に自助努力をして欲しい
これからは受け手・作り手がお互いに啓蒙しあう事をテーマとして掲げやっていきたい、それに触発された人が自分も啓蒙したいと思うようになれば良い
山本貴光さん:アニメにしか出来ない表現、アニメの可能性とは?
ヤマカン:ジャンルによって出来る出来ないというのは好きではない、演出と名のつくものはオペラを除いて全てやったが出来ない表現は無いと思う、描きたいものがある時に鉛筆で描こうがボールペンで描こうが変わらない
実写とアニメが違うとしたらアニメは全て「絵空事」である点くらい、自由さにおいてアニメは優れている
この表現をしているから「アニメらしくない」とかいうのはナンセンスなので使って欲しくない、もっと自由でデタラメなのがアニメであるべき
ちなみにフラクタルの音楽を手がけた鹿野草平さんからオペラ演出のオファーが来ているので全部制覇できそう
■質問コーナー
「アニメを観てもスゲェくらいしか思わないので自分の感想を上手く言語化するコツを教えてください」
ヤマカン:「スゲェ」だけで全く構わない、蓮實重彦さんは映画を語る時に形容詞はウソだから付けてはいけないと言っている
見えたものをそのまま語るだけでよい、その方が誠意がある
■最後に一言
ヤマカン:ブログに書いてもいいけどトリミングはするな!
みんながどういう言葉でアニメを語るのか試される時代が来ている、今のままではアニメは終わってしまう
震災によってアニメは変わっていく、作る現場も観る土壌も変わっていくだろう
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| イベント | 02:20 | comments:53 | trackbacks:0 | TOP↑
>負け惜しみと捉えていただいて構わないが1月の新作アニメ板のスレ数で「まどかマギカ」と「フラクタル」では20倍も差があった。
>オンエア前に勝負は決まっており、オーラとか覇権とか競馬予想のようにただ勝ち馬に乗るゲームになっている。
まどかマギカのスレが伸びたのはまみさん死んだ後でしょオンエア前じゃないと思うけど
| | 2011/06/06 02:44 | URL |